いのちのせんたく すべてに感謝

やりたいこと探しが流行るほど、やりたいことは見つからない

「やりたいこと探し」が流行っていると感じます。

ただ、この心境がわたしにはあまり分かりません。

というのも、やりたいことが「ない」側というより、むしろ「多すぎる」側だからです。

次々に芽が出ます。

点が増えすぎます。

ですから困るのは、探し方というより、束ね方に近いです。

どう束ねて、どういう構造で進めていくのがよいのか。

いつもそこを考えています。

「探している」は、別の意味を含むことがあります

もちろん、「やりたいことが見つからない」という言葉を、そのまま受け取ってもよいと思います。

ただ、ときどきこうも思います。

「探している」は、別の気持ちを包んだ言い方になっていることもあるのではないか、ということです。

たとえば、次のような気持ちです。

  • 介入してほしくない
  • 自分で答えが出るまで考えたい
  • 今はまだ言葉になっていない
  • 早い結論で片付けられたくない

「探している」は、迷子というより、境界線の宣言に近いこともあります。

「まだ触らないで」という、静かな拒否として働くこともあります。

そう考えると、言葉は逆でも、状態は意外と近いのかもしれません。

本質は「種はあるが、構造化できていない」

やりたいことがないのではありません。

種はたくさんあります。本人も薄々それを知っています。

ただ、構造化できていません。

ですから「見つからない」と感じやすいのだと思います。

構造化できていない状態を、次のように捉えています。

点が多すぎて、比較軸がまだ育っていない。

比較軸が育っていないと、取捨選択が難しくなります。

取捨選択が難しいと、束ねられません。

束ねられないと、構造になりにくいです。

一点集中は「可能性を狭める」のではなく「選別装置」になります

「一点集中」と聞くと、世界を狭めることのように感じる人もいると思います。

選択肢を減らして、可能性を閉じるような印象もあります。

ただ、逆の使い方もできると思います。

一点集中は、可能性を殺すためではありません。

ありすぎる素材をふるいにかけるために使えます。

つまり一点集中は、気合でも根性でもなく、構造化の前段にある選別装置になりえます。

探すより、体験を掘るほうが早いです

やりたいことは、探すよりも、目の前の体験を掘ったほうが見えてきます。

理由はシンプルです。

やりたいことは「想像と妄想」だけでは、輪郭が増えにくいからです。

頭の中でいくら考えても、選別の軸は育ちにくいです。

考えれば考えるほど候補が増えて、決めにくくなることもあります。

想像には手触りがないので、判断材料が増えにくいです。

一方で、体験には手触りがあります。

疲れました。

楽しかったです。

飽きました。

続きました。

続きませんでした。

なぜか人に喜ばれました。

なぜか自分が気持ち悪くなりました。

体験をすると差分が出ます。

差分が出ると比較軸が育ちます。

比較軸が育つと取捨選択がしやすくなります。

ですから、探すより掘ることを勧めたいです。

「掘る」とは、深さを増やすことです

掘るとは、行動量を増やすことではありません。

深さを増やすことです。

  • もう一回やってみます
  • 同じことを、もう少し丁寧にやってみます
  • うまくいった理由を言語化します
  • うまくいかなかった理由を言語化します
  • 自分が反応したポイントを記録します
  • 誰に価値があったのかを観察します

浅く触れて次へ行くと、体験は増えても、軸が育ちにくいです。

軸が育ちにくいと、いつまでも選びにくくなります。

ですから、目の前の一点を掘ります。

掘って、解像度を上げていきます。

捨てる。けれど、拾い直しも起きます

深掘りすると、残す理由が言語化されます。

同時に、捨てる理由も言語化されます。

ここまでくると、ようやく「選べる」ようになります。

そして面白いのは、いったん捨てたものが、別の深掘りを経て、拾い直されることがある点です。

以前は雑音だったものが、後から意味に変わります。

タイミングがズレて、役割が変わります。

この「捨てる→拾い直す」の往復が起きると、構造は独特になります。

他人のテンプレでは作れない形が立ち上がってきます。

結論:やりたいことは、体験の副産物として整理されていきます

やりたいことは、外側に落ちている正解ではありません。

探し当てる宝物でもありません。

体験を掘ります。

掘ることで比較軸が育ちます。

比較軸が育つから取捨選択ができます。

取捨選択ができるから束ねられます。

束ねられるから構造になります。

そしてその構造は、捨てたり拾い直したりしながら、独特に仕上がっていきます。

ですから、こう言いたいです。

探しても見つからないことがあります。掘った人だけが見つけることがあります。

やりたいことは、体験の副産物として、後から名前がつきます。

追伸:今日やること

もし「やりたいことが分からない」と感じるなら、今日やることは意外と少ないです。

  • 目の前の一点を決めます
  • それを「もう一段深く」体験します
  • 反応を記録します
  • 次の一点を、同じように掘ります

この反復の中で、やりたいことは「探すもの」から「構造として残るもの」に変わっていきます。