抽象と具体
抽象的な話は嫌われる。具体的な話は好まれる。では具体的な話ばかりしていたら良いのかといわれれば、ちがう。抽象的な話でしか通じない事柄も存在する。たとえ具体性がなかったとしても、言わんとすることが「なんとなくわかる」かどうかで、理解しあう。抽象的な話の理解は、人のステージを知らしめる。いままで皆目理解できなかった抽象的な話が、うっすらわかってきたならば、ステージが変わったという知らせ。
1ステージ上げるためにすることは、行動すること。もしも気にかかる抽象的なお題をもらえたときは、頭の隅の隅に置きながら、目の前の課題に取り組み成果をあげること。経験値をあげ、具体性のいくつもの束が揃うことで抽象的な話が理解できるようになる。数年単位の時間をかけて取り組めば、突破口はみえる。
時間について:働くがあるから難しい
時間的自由、精神的自由、経済的自由。おそらく誰もが経済的自由には憧れるだろう。経済的自由とは、時間と精神の自由が揃ったあとにしか訪れないと教わった。これを理解したくて、深く考え取り組んできた。時間は命であり、時間はお金。
さまざまな実験を経てようやく解明できたことは、なにが最も足枷となっているかを特定する必要性。結論は「働く」が絡むから難しい。
2つの生き方路線
人は、なにかしら働いている。どういう働き方を選ぶかは、生き方の路線も決定する。
(A) 自由度が高いがリスクも高い、フルオーダ路線。
(B) 自由度もリスクも低い、プレタポルテ路線。
(C) いいとこどりのセミオーダ路線。プレタポルテより一部だけ自由度が増す。引き換えに若干リスクアップ。
大きくわけると「2つの生き方路線」にわかれる。フルオーダとプレタポルテの2路線。
えっ?! 3つじゃないのと思われるかもしれないが、ちがう。セミオーダは名前を良さげにみせているだけで、圧倒的にプレタポルテ寄り。決してフルオーダに近いわけではなく、まったくの別物。
自分らしさを足す
自分らしく生きるのは、なかなか難しく覚悟がいるはなし。なんせフルオーダ路線である。だから、ちょっとだけ「自分らしさ」を足すぐらいでも、十分に幸せに生きられる。得たいものとリスクと費やす時間を見渡した上で、自分で決めたらいい。激動の人生は今どき流行らないから、昔話に煽られるのはやめた方がいい。セミオーダ路線を選択し、自分らしさを出して生きる道は、とるリスクに対して幸福度アップ感は高め。
一方で、どうしてもコレという使命感が湧く事柄がある場合には、どこかで「自分らしく生きる」選択をするしか手がなく、逃れられない。
自分らしく生きるとは?
「自分らしく生きる」とは、強みと弱みを足し合わせた「個性という束」を使って価値を届け、経済的自由を目指す道。自分らしさを存分に発揮することが必要。強みは伸ばし弱みを受け入れて使う覚悟がいる。フルオーダ路線。
一方「自分らしさ」を出していく道では、弱みを「完全に受け入れる」という苦行をする必要はなく、否定しない程度の成長で良い。セミオーダ路線。
プレタポルテ路線では、強みを伸ばすことに重きをおく。弱みは目を背けていたっていい。
どこまで追求するかは、自分で決められる。
リーダーとして成長する
リーダーが備えておくべきは、コーディネート能力とファシリテーション能力。
チームという小さな範囲を率いる場合でも、必要な能力。チームを良く観察し、臨機応変に両者を組み合わせて、チームとして目標達成し成果を残すこと。